「ぶらんこ乗り」(いしいしんじ)

どこか悲しいのに不思議とあたたかい

「ぶらんこ乗り」(いしいしんじ)
 新潮文庫

誰よりもぶらんこを
上手にこげるようになった弟は、
突然降ってきた雹によって
声を失ってしまう。
弟はぶらんこで夜を過ごし、
夜中に訪れてきた動物たちの話を
「ものがたり」に綴っていく。
「ものがたり」は、
「私」に何かを伝える…。

不思議とあたたかいのにどこか悲しい。
どこか悲しいのに不思議とあたたかい。
そんな感覚に浸ることのできる
ファンタジー小説です。

なぜ「不思議とあたたかい」のか。
それはリアルとファンタジーが
ぶらんこのように
行き交っているからです。
本書におけるファンタジーは、
超常現象とは異なります。

一つは弟の書いた、
ほとんどひらがなで綴られた
「ものがたり」です。
「私」の回想のところどころに
「ものがたり」が織り込まれ、幻想的な
あたたかみを創り上げています。
「わたしたちはずっと手を
 にぎっていることは
 できませんのね」
「ぶらんこのりだからな」
「ずっとゆれているのがうんめいさ。
 けどどうだい、
 すこしだけでもこうして」
「おたがいにいのちがけで
 手をつなげるのは、
 ほかでもない、
 すてきなこととおもうんだよ」

(「手をにぎろう!」)

もう一つは、ところどころに
挿入されている緻密な虚構です。
「ものがたり」に登場する動物たちの
不思議な習性、
ゾウがハトを丸めて遊び、
団子にしてしまう等は、
多分作者の創作と考えられます。
弟が飛び級をくり返し、
12歳で海外の大学へ
留学したというのも、
ありえないことなのですが、
しっくりと筋書きに溶け込んでいます。

なぜ「どこか悲しい」のか。
それは全編にわたって死の予感が
通奏低音のように続いているからです。
冒頭から「あのこの、あのノート」。
それを書いた弟は、
今はいないことをうかがわせます。
「ああ、この物語は、今は亡き弟を巡る
回想の形を取っているのか」と
思ってしまいました。
しかし、死に直面するのは…。

主人公「私」は、大切なものを
次々と失いながらも大人になり、
終末では、弟に「つながる何かに
携わっていたい」ために、
動物園の飼育係のアルバイトを
はじめます。
ファンタジーで
「死」をなかったことにするのではなく、
「私」も弟も、そして読み手もまた、
「死」を真っ正面から
受け止めなければならないのです。

リアルとファンタジーが行き交い、
喪失と再生が交錯する、
どこか悲しいのに不思議とあたたかい
現代的童話。
いしいしんじの傑作です。

(2020.4.8)

nobu satoによるPixabayからの画像

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